先日、夜の仕事が一段落してから、何気なくテレビをつけたときのことでした。 NHKで人類の歴史を扱ったドキュメンタリーが流れていて、つい手を止めて観てしまいました。 昔からこういうテーマは好きで、仕事柄もあって、自然と引き込まれていったのだと思います。
番組を通して感じたのは、人類が生きてきた環境は、決して整ったものではなかったということです。 安定した場所に留まるよりも、移動し続けることが生き延びる条件だった。 動き続けること自体が、生存と直結していた時代が長くあったのだと、映像を見ながら考えさせられました。
特に印象に残ったのは、二足で立ち、歩くことがごく当たり前として描かれていた点です。 立つこと、歩くことは、特別な能力ではなく、日常そのものだった。 その前提が、ずっと人類の暮らしを支えてきたのだと思うと、不思議な感覚になりました。
私がこの番組を観ていて強く心に残ったのは、 人類は「強かった」から生き残ったのではなく、 重力の中で動き続けられる体を持っていたから、生き残ってきたのではないか、という視点です。 力任せではなく、環境の中で動き続けられる構造を持っていたこと。 その静かな強さが、とても印象的でした。
そう感じた瞬間、日々向き合っている患者さんの姿が自然と浮かびました。 昔は、歩かなければ生活が成り立たなかった。 今は、ほとんど動かなくても暮らせる時代です。 便利さそのものは、決して悪いものではありません。 ただ、体の前提は、昔と大きく変わっていないようにも感じます。
施術室で感じるさまざまな不調も、そうしたズレの中で現れているように思うことがあります。 年齢や気合の問題というより、 体が本来想定していた使われ方と、今の生活環境との間に、少し無理が生じている。 身体だけが、少し置いていかれている。 そんな表現がしっくりくる場面は少なくありません。
私たちが向き合っている痛みも、多くの場合、結果として表に出てきたものです。 その前に、うまく支えられていない状態があり、 立つこと、歩くことといった、人としての土台が揺らいでいることがある。 足が地面を捉え、重力の中で体を預けられること。 それは特別なことではなく、本来備わっていた感覚なのだと思います。
今回のドキュメンタリーを観て、 新しい何かを足すというより、 もともと持っていた力を思い出す、という感覚が強く残りました。 体を見る目が、少し変わった気がします。
日常の中で立つことや歩くことを、 ただの動作としてではなく、 長い時間をかけて受け継がれてきた営みとして眺めてみる。 そんな視点を、この番組はそっと置いていってくれたように感じています。